意思書き残すのが“愛情”

2015年11月23日

 日本では病院で亡くなる人が8割に上るが、その一方で自宅など病院以外で最期を迎えることを望む人は多い。在宅で受けられる医療や介護のサポートが充実し、終末期を過ごす場を選べるようになってきつつある。どんな最期を迎えたいのか、終末期医療(ターミナルケア)への関心は高まっている。後悔しない最期を迎えるために、自分自身で準備できることは何か、支える家族はどのような準備が必要なのか考えていく。


 神奈川に住む宮崎詩子さんは2012年、15年間にわたる在宅介護ののち、最愛の祖母を自宅で看取った。宮崎さんが35歳の頃だった。
 祖母は1997年、79歳で認知症を発症。宮崎家は祖母、父、母、詩子さん、妹の5人家族。家族全員で自宅で祖母を介護することに決めた。その介護の中心的人物が詩子さんだった。
 当時は都内の持ち家で暮らしていた。両親が自営業で、宮崎さんは自宅で仕事をしながら祖母を見守る日々が続いた。認知症の介護のコツは、「症状を笑いに変えること」。
 「認知症介護はストレスが多いが、それを遊び心でどう笑いに変えるかが介護を楽しくするヒントだった。祖母をコミカルなキャラクターとして接するようになって家の中で笑いが生まれるようになった」
 祖母のことを「ひろこ」からとって「ひろちゃん」と全員が愛称で呼びだした。
 デイサービスなど外部の介護サービスは積極的に使わなかったという。祖母の性格から無理に通所すれば、混乱し認知症の症状が悪化してしまうリスクを考え、自宅での穏やかな生活を続けることを選んだ。
 介護の中心を担った宮崎さんは、何事も先を見据えた選択を心掛けた。介護生活の初期から「祖母の最期にどう向かうか」問い続けてきたという。介護生活が長期化することを念頭に置き、介護する上で何を大切にするのか、家族が同じ方向に向かえるよう役割を決めてそれぞれができることをした。
 祖母の希望や自分たちの暮らし、経済的なこと、あらゆる面から考え「絶対に自宅で最期を看取る」と決めてきた。祖母の穏やかな暮らしを守りながら、自分たち家族もどうしたら”ハッピー”でいられるか。それが消耗戦に陥らない大きなポイントだった。
「胃ろう」を決断リハビリに活用
 祖母が90歳の時、脳出血で救急搬送され6週間の入院生活を送った。終末期は回避したものの、全介助で寝たきり状態。

(つづきは紙面にて)
株式会社高齢者住宅新聞社
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